退職しました (2021)

先日の11/26を最終日に株式会社エス・エム・エスを退職しました!

2017/10に入社したので、4年と少し居たことになります。 仕事に関してはさっぱりしている方ですが、退職日にオフィスで自分の荷物をまとめているときは流石にノスタルジックな気持ちになりました。お世話になりました。

現職で何をしていたか

始めの3年ほどはSaaSのSREチームでいろんなことをし、次に1年弱社内システム周りのお世話をしてその後4ヶ月休職、復職してからは始めののSREチームに居候しながら社内向け環境のもろもろ整えをして過ごしていました。

始めに携わったとあるSaaSのサービスは大変問題の多いレガシーな子で、そこで開発チームとは独立したSREチームというところで全体のお世話をしていました。どうしてこうなったというアーキテクチャや実装、大きく複雑な機能群の密結合、担当者不在アプリ多数、誰も把握できていない機能多数、加えて法改正という大きくて強力な変更要求が数年ごとにやってくるというなかなかタフな環境。入る前はかなり炎上していたらしいものの、ある程度人間的にソフトウェア開発ができるようになったぐらいのタイミングでジョインしました。

全体のパフォーマンス調査から改善、大きな開発プロジェクトの全体のサポート、SLI策定のための仕組みや運用作り、各種トイルを叩いていく、マーケ方面の要件をトリアージしたり仕組みを整える、コスト削減など、本当にいろいろでした。Javaのアプリをプロファイリングしながら悩んだり、dbのボトルネックを探してアプリを直しに行ったり、EOLなパッケージを上げるための道筋を見つけたり、インフラ周りの要求を整理してTerraformでAWSに作ったり人に投げたり、あるべき状態を語るポエムを書いたり。強い権限を持ってシステム全体に関わる判断と実行をしていった感じです。

次に担当したとある社内システムも生まれながらに問題を抱えた大変な子でしたが、モノはある程度良い状態にできたし、問題を分析して存在理由とあるべき姿・進むべき道を定義するなどそれなりにバリューは出たかなという感じです。

休職開けから退職までは始めのSREチームでTerraform職人に従事し、開発環境や社内向け環境のAWSの構成を最適な状態に近づけていく活動をしていました。

仕事全体を振り返ると、トップダウンな指示や目標というものがほとんどありませんでした。なので自分でこれはどうあるべきどう動くべきというのを常に考える必要があり、かつ実際に手を動かすこともできたので、手段を限定されずいろんな方向からしっかり問題解決に取り組める経験ができたと思います。評価制度も自分には合っていて、短期的な成果よりも長期的な成果を考える機会に恵まれていました。

また総じてすごく働きやすい会社でした。体調が優れないときはちゃんと体調を優先できるし、長く働く文化もない。 入社当時は9時出社だったのが今ではフレックス、今やほとんど裁量労働と、よい変化も多かったです。 前職と比べると、落ち着いて仕事をする事を学べた気がします。 これは一部上場パワー、もしくはエンジニアを囲っていたトップ(自分のボス)のおかげかも知れません。

反省をすると、もっと目指したい状態を明確に描いて、強力に優先度を決定し、皆が手を付けたくないところに手を付けながら強力に推進していくことがより必要だったなと感じました。トップダウンな働きかけがもっとあればよりたくさんの事を変えられた気がます。マネージャーレスに近い組織だったので明確に権限や役割を決める動きもあったらよかったかも知れません。

なぜ退職することにしたか

まずちょっと長く居すぎたなという感覚がありました。前職に居たのは2年半ですし、同じ組織に3年いるのは十分長いという感覚でした。自分より先に入った人が辞めていくたびに焦りを感じていました。加えて最近の自分の職業人生が停滞しているなと感じていて、環境を変えたいなと漠然と思っていました。

そんな中、不眠が悪化し仕事のストレスも加わって休職。 仕事のストレスに関しては、あるべきからかけ離れた状態をどうにもできないことに加えて、 自分の成長している感覚や高い価値を提供できているという実感のなかったことが仕事のストレスの原因だったと思います。 休職をする程度には体も心も元気がない状態でしたが、自分のこの状態はおそらく転職をして環境を変えた方が改善するだろうと思い、転職をすることにしました。

今まではいわゆる事業会社や人材業界に関わる時間が長く、今までとは違う文化でかつよりテッキーな会社で仕事してみたいと思ったのでそういう会社を探し、幸運にもいいところにお声がけをいただけたので、ボスに退職の意向を告げたのでした(10月に復職をしてからすぐ辞めることになったのは申し訳ない限りです)。

転職活動どんなかんじだったか

自分の心の健康を優先して省エネで転職活動をしていました。

当時の自分は休職している程度なので当然調子が万全ではなく、近頃あまりしっかり技術の勉強もできていなかったので、自分に全然自信がない状態から始まりました。

会社探しは普通にエージェントを使いながらたまに知人の紹介、という感じでした。 本当はTwtterで転職先探してます!とつぶやきたかったのですが現職にいながらなので流石にできませんでした。

エージェントや知人に紹介やスカウトされるがままに接触する会社を増やしていきました。 元気がないとはいえ仕事してない分時間の自由が効いたので、面談や面接を週に2,3いれていました。 今休職していることがマイナスだと思われている様子はほとんど感じなくて、あったとしても心配してくれて サポートできることあったら何でも言ってくださいねと手を差し伸べてくれるような感じでした。 (そもそもマイナスだと思う会社は声をかけてこなかったのだと思いますが)

面接や課題が大変なところは、自分の心の消耗を避けるためだいたい断ってしまいました。面接や面談はやるだけで1時間程度はかかるし、いい時間にするためにはきちんと事前調査の時間も必要で、初対面の話と密度の高い話をする分使うエネルギーは非常に多いです。課題が出たりお試し入社があると数日を費やすことになり、仕事してないとはいえ使う労力がすさまじいので避けていました。あと自社のアプローチに自信がないところも断ってました。

会社を選ぶ基準として、技術やサービスを運営するに当たってのモラルが十分あって、モノを作ることをうまくやれていそうかを見ていました。 安心してモノとサービスにコミットできそうなところであれば候補に入っていました。 特定の技術やアプリに縛られず、目標に向かって問題解決を続けるSREという仕事が、自分には性に合っていると感じていたので、SREという言葉で自分を表現しながらSREと書いてあるスカウトをよく読んでいました。

時間はあったので一時期転職口コミサイトを見て回っていましたが、レビュー書いたり個人情報を提供したりメルマガを購読させられたりするのが嫌になってやめました。

来る者拒まずでやってきた結果候補がたくさん残りすぎてしまい、最後1つに決めきるの非常に労力と時間を使いました。 かなり好きで選考を進んでいた会社を最後たくさん断ることになってだいぶ心苦しかった記憶があります。

ちなみに同時期にTwitterで投稿される100日後に退職する47歳さんを見ていて、全然人ごとではなくドキドキしながら毎日楽しみにしていました。

今後

次は12/1から、界隈の某ファッションテック企業でSREとして働きます。24/365あり。

休職開けに転職しかもオンボーディングからフルリモートということでなかなか怖いポイントも多いですが、入社前からの手続きでやりとりしているうちに楽しみな気持ちがふつふつと湧いてきました。もうSlackにゲストで入れてもらっているし、手続きはちゃんと全部電子だし、Macなど必要なものも届きました。MacはM1が支給されることになった(届くまでは代替の古いIntel Mac)のでこの時期の転職はお得です。

この連休は仕事を始める前までにやり終えておきたいことを一通りやっておこうと思っています。 このコミュニティを切り換える最中のどこの組織にも属していない状態を堪能しようと思います。

また一ヶ月後ぐらいに、転職した結果どんな感じになったかを書こうと思います。